浜松市北区三ヶ日町で、素材と製法にこだわったパンを販売しています。

入河屋の歴史


入河屋の歴史



入河屋は明治18年に初代・松嵜甚作が三ヶ日の地で創業しました。

初代は当店を代表する甚作饅頭を作ったまさに元祖の人でして、とても器用でアイデアマン、地域の方からまんじんさん(饅頭屋の甚作さん)という愛称で呼ばれ、商売も繁盛していたそうです。


初代は湖西市入出の生まれで元々は魚問屋を営んでおり、奥山方広寺の門前町や三ヶ日宿の料亭などに魚を卸しておりました。

とても人が良く、地域の困った人を見ては気前よくお金を貸していたところ、貸した人たちからお金を回収できない…いわゆる貸し倒れだらけになってしまい、今度は初代自身がどうしようもなくなってしまいました。

その姿が見るに忍びなかったのか、今まで取引先だった三ヶ日宿の方々が「こっちにおいで」と、声をかけてくださったことがきっかけになって、三ケ日の地に根を下ろすことになりました。



その資産と信用をそのままそっくり引き継いだ二代目はなんと遊び人。

仕事はするものの、売り上げた分だけ使ってしまったそうで、浜名湖競艇に巨額の財産をつぎ込みます。

一説によると、『倉の二つ分が一杯になるほどの財産を、浜名湖にばらまいた』と言われたほどでした。



三代目は二代目をそっくりそのまま反対にしたようにとても勤勉で、毎日朝仕事を手伝ってから学校に通っていたそうです。

それでも学業成績がトップクラスだったため、尋常小学校で一人だけ特別に表彰されたそうです。

その後、戦争で出征して無事に帰って来てから入河屋の立て直しに尽力、甚作饅頭以来の大ヒット・入河屋を代表する銘菓である『みかん最中』を生み出しました。



四代目は、純粋な和菓子店だった入河屋に、新たな風を吹き入れた立役者。

当時まだ少なくて珍しかった洋菓子職人の道に進み、和菓子に加えて洋菓子も製造販売し始めました。

幸か不幸か?ここから和洋菓子屋として現在の入河屋スタイルができあがったのです。



そして当代五代目・善治郎は、先人たちの良い所は見習い、新たな領域を切り拓こうと日々研究と技術研さんを積み重ねています。

初代のチャレンジ精神、二代目の遊び心、三代目の勤勉さ、四代目の時代を先取りする力からバトンを受けて、次の世代に入河屋の伝統と歴史を伝えてまいります。